2024年9月21日(土)より
桜坂劇場で公開

ことのしだい

真喜屋力

戦後復興の時代に建てられた首里劇場は、2022 年 4 月に経営者である館長の急逝によって 72 年の歴史に幕を下ろした。戦前の劇場様式を用いた木造建築は老朽化が激しく、保存運動の声も届くことなく解体の日を待つだけだった。客観的な資料や記録では伝わらない、劇場の持つ風格、わびしさ、染みついた歴史を主観的な記録で残したいと思い立ち、写真家の石川真生さんに作品制作を提案した。

沖縄芝居の役者たちの取材を通して多くの劇場を見てきた真生さんは、首里劇場をロケハンしながら「私が写真を撮るから、あんたは映像を撮ればいいさ」と逆指名をかけてきた。断れるはずもなく、僕は「じゃあ、主演女優お願いします」と切り返した。このとき、やはり自分自身で首里劇場を撮りたかったんだなと、僕は気がついた。もちろん『写真家・石川真生』も、いつかは撮りたいと思い続けていた人だ。真生さんはそんな風に、こちらの想いを透かして見ているようなところがある。
かくして、本作の撮影がスタートした。

ストーリー

首里劇場は1950年に建てられた木造の映画館。戦後復興の中で生まれた劇場は、個人経営だが地域文化の中心として大いに賑わった。時代を経て映画が斜陽産業になると、首里劇場は成人映画専門館として糊口をしのいでいた。三代目館長の金城政則は、老朽化した成人映画館を引き継ぎ、20年近く守り続けていた。2021年、名画座への回帰をはかり話題となるが、金城館長は翌年、癌のために急逝。劇場は閉館となり、解体の日を待っていた。

戦前の劇場様式を引き継ぐ首里劇場は、ゴシック建築の幽霊屋敷のような風格を持っていた。静謐な空間には、誰かの気配が漂っているようだった。

写真家の石川真生が首里劇場にやって来る。病を抱えながらも精力的に活動を続ける石川。彼女は、かつて沖縄芝居の劇団に同行して、沖縄のあちこちにあった劇場を取材した経験もあり、この滅びゆく沖縄最後の木造劇場にも興味を持ったのだ。石川真生は人間を撮ってきた写真家だ。撮影対象と深く関わり、生々しく赤裸々な写真、生きた人間の記録を撮り続けている。その石川の目に、人のいなくなった首里劇場はどのように映ったのだろうか。

石川真生の物語と並行し、亡くなった金城館長の甥・金城裕太が、館長の自宅で家族の歴史を語る。それは、人々で賑わい、華やかだった頃の首里劇場ではなく、成人映画館を営むとある家族の楽しかった日々の思い出だった。

首里劇場には、他にもさまざまな人々が訪れる。

閉ざされた劇場を後世に伝えるための内覧会ツアーのガイド・平良竜次は、首里劇場の近くで育ち、館長とも交流を深めながらたびたび劇場でのイベントを開催してきた。成人映画の女優で映画監督のほたるは、劇場に残る積み上げられたポスターを丁寧にめくり、自らが関わった映画タイトルを探しながら劇場の歴史をたどる。かつて福岡の成人映画館「オークラ劇場」で映写技師をしていたとんちピクルスの松岡浩司は、惜別の思いを込めて首里劇場のステージで歌う。それぞれが、それぞれの人生と首里劇場を重ねていく。

やがて石川は、踊り子の牧瀬茜を撮影のモデルに招く。ストリッパーとして日本各地の劇場を渡り歩き、その栄枯盛衰を見てきた牧瀬のパフォーマンスは、解体目前の首里劇場に最後の華やかな煌めきを与え、石川はその姿に何度もシャッターを押す。

廃虚のような首里劇場を舞台に、生きることの切なさ、たくましさが、人間くさいユーモアとともに語られていく。そして劇場の解体の日が近付いてくる。



コメント

みなの記憶の器だったこの劇場が無に返ってゆく姿は美しい
そして、それを撮る石川真生は更に美しい
全てのものは移り変わりゆく、万物流転、諸行無常でも一つ一つの物事との丁寧なお別れの仕方を見せてもらった気がしました。真喜屋監督にしか撮れない魔法のレクイエムを体感して欲しいです ノスタルジックな雰囲気満載の切ない系ドキュメンタリーかと油断して見ていると、映画終盤めちゃくちゃエモい展開に。一見、偶発的に見えるキセキも、作り手の執念が呼び寄せたもの。ものづくりしてる人は心大きく動くこと、必至! 出会えなかったという出会い真喜屋力監督さんと、写真家の石川真生さんのお二人の目を通して、伺うことのできなかった首里劇場の映画館の匂い、椅子の座り心地、映画を上映していた時の風景をたずねるような気持ちになりました。真喜屋監督と石川真生さんのおちゃめな目線、石川さんがカメラを覗く時の真伨な眼、映画館を訪れる人たちを通して感じる空間。今、現在、全国に残っていて、厳しい状況の中でも絶やさず上映を続けてくださっている映画館へ想いを馳せる時間にもなりました。 首里劇場の歴史と石川真生さんの人生が重なり、蝋燭の火が消える直前ひと際明るく輝く、そんな凄みを感じました。 いきものの終わりを見るような映画。劇場に生命を感じました。ある人が真生さんに肩を貸すシーンが嬉しかった。何気ない優しさが描かれるような場面が一番好きなので。首里劇場の終わり際を観られて良かったです。 私も老いを感じながらどう仕事に向き合うかという時期に来ているので、石川さんの身体の痛さを抱えながら被写体に立ち向かう姿、廃棄される首里劇場、ギリギリまで小屋を守っていた館長に思いを馳せて観ることが出来ました。甥の裕太さんの話しは心打つもので、その言葉を引き出して観させて頂いて下さってありがとうございます。改めて永年親しくして頂いた金城館長を知る喜びを感じました。亡くなる間際の話も聴けて良かったし、なかでも成人映画を家業として上映して下さったという話は、作品を作っていた私も身内にして下さっていたのかとも勝手に思い嬉しかったです。牧瀬さんの登場はサプライズでした。個人的には共演もしたこともあり、新宿ベルクでのミニライブでも拝見したことのある牧瀬さんは「ハレンチ君主」上映を応援して下さった方ですが、今回滅びゆくものの重要な中で作品に美しい裸体で光を当てて下さりました。それを体力の限界を超えてまで撮っていたのが石川さん、、。感動的でした。 音楽録音(kgk)でお手伝いさせて頂きました。考えてみれば、奧さんとの初デートも首里劇場でした(笑)時が止まり・時が走り出した瞬間は言葉にならず、ただただ胸がぎゅーと締め付けられました。覗き込んだカメラのファインダーから外れた石川真生さんの目は印象的でした。 のどかな雰囲気なのに、劇場も人間も、儚さも逞しさも、一瞬も永遠も、詰め込まれていました…最後泣いちゃいますね。でも明るくて。最高です! 人間臭さ、劇場の匂いが漂ってくる映画。 劇場にも人生にもいつか必ず終わりがあるけれど、 ”匂いと記憶”は映像の中に閉じ込めて蘇らせることができるー そんなメッセージ、真喜屋監督の優しさをラストシーンに感じました。 何かを残したいと強く願うとき、人はその美しい部分や正しさを力説し、なんならかっこよく装ってしまうものだけど、『劇場が終わるとき』はそうじゃなくてしびれた。真喜屋さんならではの別れ歌のようなドキュメンタリー 映画後半の「猥雑さの中に聖性が現れた瞬間」がもう最高の「生命賛歌」であり、同時に「鎮魂の儀式」でもありました。 石川真生さんが、病の痛みを堪えつつシャッターを押す満身創痍な姿も、本当に印象的でした。お辛いはずなのに楽しそうなのも、印象的。 悠久な沖縄時間と深い愛情を感じることができました。光の感じはとても良かったです、本当に自然でした。

スタッフ

製作・監督・撮影・編集 

真喜屋力 

1966年、沖縄県那覇市生まれ。 

真喜屋力が故金城政則館長と知り合ったのは2003年。DVDオリジナル 『UNDERCOVE JAPAN~沖縄編』の撮影時だった。その後、沖縄・那覇の桜坂劇場の立ち上げに参加し、金城館長とは同業者として緩く交流を続けた。館長の死後は、首里劇場調査団のメンバーとして劇場の調査に関わり、個人プロジェクトとして本作の製作を開始した。 

琉球大学の映画研究会で映画製作をスタート。卒業後、1992年にオムニバス映画 『パイナップルツアーズ』の第一話『麗子おばさん』を監督し、日本映画監督協会新人賞を受賞。THE BOOMの『島唄〜ウチナーグチバージョン』の第二班監 督として、沖縄の人々の唄う場面を撮影。 

1994年、東京のミニシアターBOX東中野(現ポレポレ東中野)、2005年、沖縄の桜坂劇場の立ち上げに参加し、興業、宣伝の立場からも映画に関わってきた。2017年からは沖縄の市井の人々が撮影した8ミリ映画の収集・保存・公開を行う「沖縄アーカイブ研究所」の代表も務める。 

テレビでは、子供番組の『みんなゲンキ?!』(BS-asahi、2000年)、台湾との合作アニメ『アークエ とガッチンポー』(TX、2004年)、『オキナワノコワイハナシ2012 ゾンビのカジマヤー』(RBC、2012 年)で監督を務めた。アニメ『星界の戦旗』(WOWOW、2000年)では脚本を担当。 

アートプロジェクトとして、レコード盤型のゾエトロープ『映画のアナログ盤』、商店街の壁面に映像を投 影する『桜坂灯彩街』、収集した8ミリ映画を投影しフリージャズの演奏とセッションを行う『OKINAWA FILM NOSTLGIA』などの活動も行い、さまざまなかたちで映像に関わってきた。 

30年以上も映画に携わりながら、本作『劇場が終るとき』が長編第一作であることに監督自身も 驚いている。 

共鳴する二つの人生

映画の制作テーマは、単に写真家・石川真生さんの作業記録ではありません。真生さんは病を患いながらも、現在に至るまで精力的に写真を撮り、発表を続けています。その壮絶な生き様を映像に残すことができないかと考えていました。

同じように、首里劇場の最後の館長である故・金城政則さんの人生も語り継いでいきたいと思っていました。金城館長は2002年、老朽化した赤字経営の首里劇場を父親から引き継ぎました。成人映画館として糊口をしのぎ、後ろ指を指されながらも20年近く守り抜きました。そして、名画座への回帰に挑むさなかで病に倒れ、病院に搬送されたときにはすでに手遅れで、その数日後に亡くなりました。

石川真生さんと金城政則館長。一度も会うことはなかった二人の生き様を首里劇場を通して重ね、共鳴させることで、運命にあらがいながら生きる人間の普遍的な業のようなものが見えてくるのではないか。
そんな想いに突き動かされながら制作した作品です。
(文:真喜屋力)

クレジット

製作、監督、撮影、編集:真喜屋力

出演:石川真生、金城政則、牧瀬茜 、ほたる、とんちピクルス、平良竜次、佐久田立々夏、金城裕太、仲田幸子(特別出演)、仲田まさえ(特別出演)

ナレーション:木村あさぎ
音楽監督::上地gacha一也
演奏::kgk 川崎巽也(guitar)、上地gacha一也(bass)、城間和広(drums)
音楽録音(kgk):森脇将太
劇中歌:『祝日』タテタカコ 、『夢のなかでないた』とんちピクルス
エンディング曲『ダニーボーイ』 まきやしほ(トランペット)& kgk
ドローン撮影:平良竜次
制作進行・宣伝:林恭子
宣伝デザイン:平井晋
資料提供 :仲栄真浩、野口麻美、入川正充、那覇市歴史博物館、金城家、NPO法人シネマラボ突貫小僧、首里高校養秀同窓会、沖縄テレビ放送株式会社、有限会社ハマジム、石川真生
協力 :金城家(首里劇場)、大城弘明、深谷慎平、株式会社シネマ沖縄、桜坂劇場、スタートライン株式会社、 株式会社丸昇建設、首里劇場調査団、有限会社ハマジム



上映情報

東京都

上映館住所電話番号ウェブサイト公開日
ユーロスペース渋谷区円山町1−5 3F03-3461-0211http://www.eurospace.co.jp2025年初春公開

沖縄県

上映館住所電話番号ウェブサイト公開日
桜坂劇場那覇市牧志3-6-10098-860-9555https://sakura-zaka.com2024/9/21(土)〜

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