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本作品の主役。故人となった館長や、観客たちの残した気配をたどるように、幽霊屋敷のようになって朽ちていく首里劇場の中でシャッターを押し続ける。病に対峙しながらも、持ち前の明るさで重いテーマを抱えた本作品に活力を与えてくれている。
1953年、沖縄県大宜味村生まれ。沖縄を代表する写真家。1974年にWORKSHOPワークショップ写真学校「東松照明教室」に参加。以後、作品を発表し続けている。
1975~77年、沖縄の米軍基地の街”金武”のバーで働く女たちを、自らもバーテンをしながら撮影し、写真集『熱き日々 in キャンプハンセン』として発表(1982年)。港湾で働く男たちを撮影した『港町エレジー』(1990年)、沖縄芝居・喜劇の女王と呼ばれる仲田幸子の一座の日常を追った『沖縄芝居 仲田幸子一行物語』(1991年)など、人間の赤裸々で飾らない姿を温かい眼差しで写真に収めてきた。沖縄芝居に関しては、名優達のきらびやかなカラーポートレートのシリーズも発表している。
基地の島・沖縄の重い現実を描く『これが沖縄の米軍だ-基地の島に生きる人々』(1996年 / 国吉和夫、長元朝浩との共著)など、基地問題も正面から撮影してきた。
『日の丸を視る目』(2011年)、『フェンスにFuck You!!』(2012年)では、モデルとともにシチュエーションを作り、想いを表現する新たなスタイルに踏み込んできた。
2014年から毎年開催している写真展『大琉球写真絵巻』では、大判の写真絵巻を展示会場に貼り巡らし、沖縄の過去から現在の時の流れを俯瞰する空間を作り出している。
2021年には沖縄県立博物館・美術館において「石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」、2023年には東京オペラシティーアートギャラリーで「石川真生 私に何ができるか」など大規模な展示が相次いで行われた。2024年、第75回芸術選奨文部科学大臣賞、第43回土門拳賞など受賞が続き、評価は未だ上がり続けている。
首里劇場の地元、那覇市首里の出身。閉館した首里劇場で行われた内覧会でツアーガイドを務めた。「NPO法人シネマラボ突貫小僧」の代表であり、沖縄県内の映画館の歴史を調査し、新聞連載を続けている。首里劇場の歴史を解説した映画『首里劇場ノスタルヂア』を監督し、Youtubeで無料公開[link]している。著書として『沖縄まぼろし映画館』(當間早志共著)がある。
映画では石川真生の助手としてライト持ちをしているが、沖縄県立芸術大学で音楽文化専攻沖縄文化コースを学んだ。助手と言うよりも、孫のように石川をサポートする姿がかいがいしい。
沖縄芝居の劇団「でいご座」の座長で「喜劇の女王」と呼ばれる仲田幸子と、その孫で歌手としても活動する仲田まさえ。かつて幸子に惚れ込んだ石川真生は、でいご座に密着取材し、写真集「沖縄芝居 仲田幸子一行物語」を出版している。首里劇場で最後に興業を行ったのもでいご座だった。首里劇場の楽屋の黒板に残る「千秋楽 千鳥節」という文字は、その最終興行時に書かれたと思われる。
映画監督、詩人。イメージフォーラム映像研究所の卒業制作として、ドキュメンタリー『鱗のない魚』を監督。同研究所卒業上映会で最優秀賞を受賞した。翌年に初の長編『蹄』を監督。2022年、本作の監督・真喜屋力がディレクションした『OKINAWA あの日の大博覧会』(企画制作:那覇文化芸術劇場なはーと)で短編作品を発表している。詩人としても活動。朗読を聴いた真喜屋監督がその声に惚れ込み、ナレーターに抜擢した。
首里劇場の故・金城政則三代目館長の甥で、二代目館長の金城田真(政則の父)の孫。政則館長の死を病院で看取った。家業が映画館、という家庭で育った思い出話は、活き活きとした輝きを映画に与えている。
福岡在住の松浦浩司の、ウクレレ弾き語りソロユニット。首里劇場の舞台で美声を披露する。かつて、今はなき福岡・中洲の成人映画館「オークラ劇場」の映写技師を務め、同館の閉館時にも歌を歌った。哀愁とユーモアを含んだ唄声は、亡くなった館長、そこに集った人々に寄り添うように、老朽化した劇場の中で優しく響く。
首里劇場に残された大量の成人映画ポスターを1枚ずつめくるのは、ピンク映画のレジェンド女優であり映画監督でもある、ほたる。女優デビュー作はピンク四天王の一人、瀬々敬久監督の『未亡人 喪服の悶え』。
自身の監督作も含まれる『短篇集 さりゆくもの』を、閉館後の首里劇場で上演するために訪れたことが本作出演のきっかけ。数百枚のポスターをゆっくりめくる姿は、映画、劇場、そして自身の歴史をたどるような慈愛に満ちた時間を生み出している。
ストリッパーとして日本中のストリップ劇場を渡り歩いてきた踊り子。ストリップ劇場以外にも、様々なスペースでのパフォーマンスを行っている。雑誌のコラムやエッセイなどの文筆活動、絵画、写真など、様々な顔を持つ表現者でもある。辺野古の基地建設反対運動にも積極的に関わっている。石川真生の作品『大琉球写真絵巻』ではモデルも務め、その縁から本作で石川のモデルとして首里劇場を訪れた。
金城政則は首里劇場の三代目で、最後の館長。2022年4月9日に癌のために急逝し、それによって首里劇場も、72年の歴史の幕を閉じた。
首里劇場は、戦後復興の時代の1950年に作られた木造建築の芝居小屋兼映画館。オープン当初は、映画、演劇、地域の催事など様々な芸能や娯楽や文化を届け、地域社会の中心にあったが、映画産業の斜陽化もあり、80年代の中頃からは成人映画専門館として長く営業を続け、地域に疎まれながらも生き延びてきた。
建物の老朽化や客足の少なさから考えれば、いつ廃業してもおかしくない地方映画館だったが、館長はスクリーンの張り替え、デジタルプロジェクターの導入など、設備投資を行いながら劇場を守り続けた。2021年には成人映画上映を終了し、名画座へと路線を切り替えるが、約1年後に癌のため急逝した。身体の不調を抱えながら病院にも行かず、劇場と自宅を往復する生活を続けていたこともあり、病院に運ばれたときにはすでに手遅れだった。
館長の死後、「劇場が終わるとき」の監督・真喜屋力も参加した「首里劇場調査団[link]」が歴史や建築など様々な調査を行っており、詳細な資料は調査団の公式サイトにまとめられている。
また、首里劇場の魅力に惹きつけられたアーティストも多く、荒木太郎監督によるピンク映画『人妻がうずく夜に 身悶え淫水』(2008年)や『浮雲-空に咲く愛の地図-』(2011年)、岸本司監督による短編映画『夢の残像』(2021年)、當間早志監督『一生売れない心の準備はできてるか』(2022年)など、首里劇場を舞台にした多くの作品が制作されている。ドキュメンタリーでは、真喜屋力監督『UNDERCOVER JAPAN~沖縄編』(2003年)、長谷川亮監督が首里劇場のフィルム上映最後の日を追った『琉球シネマパラダイス』(2017年)などがある。
■監督作品(映画)
1992年 『パイナップルツアーズ(第一話「麗子おばさん」)』
1992年度 日本映画監督協会新人賞受賞
1993年 MV『島唄 ウチナーグチバージョン』(THE BOOM)
1998年 MV『20世紀の終わりに』(ヒカシュー)
2004年 オリジナルDVD『UNDERCOVER JAPAN』(ハマジム)
2012年 ドキュメンタリー映画『THE BOOM 島唄のものがたり』
2013年 Webドラマ「桜坂のアサイラムさん」
2023年 ドキュメンタリー映画『記憶の記録』
■脚本(映画)
1998年 『BEAT』(監督:宮本亜門)脚本協力
2000年 『星界の戦旗』(WOWOW サンライズ 監督:長岡康史)脚本
■テレビ
1996年 ディレクター 沖縄POP伝説 喜納昌吉篇 (NHK BS-2)
1997年 ディレクター 東京人間探訪(MXTV)
2000年 チーフディレクター 『みんなゲンキ!?』(BS朝日)
2004年 『アークエとガッチンポー』『アークエとガッチンポー てんこもり』(テレビ東京、日台合作)監督。 ※リンクは台湾語版
2012年 『オキナワノコワイハナシ2012〜ゾンビのカジマヤー』(RBC)
■アートプロジェクト
2012年 「映画のアナログ盤』プロジェクト
2015年 『桜坂灯彩街』
2018年 『OKINAWA FILM NOSTALGIA 2018』
■アーカイブ関係
沖縄アーカイブ研究所 (代表)
復帰50周年企画 OKINAWAあの日の大博覧会(ディレクター)
■その他(映画)
1994年 脚本・制作進行『パイパティローマ』(WOWOW、SME 監督;中江裕司)
1999年 美術監督 『ナビィの恋』(オフィスシロウズ、イエス・ビジョンズ 監督:中江裕司)
■SNS
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